中国や、韓国などの時代劇を見ていると、親が叶えられなかった夢を子どもが引き継ぐというシーンを見たことがあります。
子どもとしては、引き継ぐことが当然の如く、生きていきます。いまでは、後継として生きたくないと主張することがしやすくなりましたが、目に見える後継だけではなく、子どもは、親と同じように生かされてしまう傾向があります。
非行臨床をしていて痛感するのは、親の影を肩代わりさせられている子どものケースが多いことである。いわば、親の影を生きている子どもたちである。たとえば、宗教家、教育者といわれる人で、他人から聖人、君子のように思われている人の子どもが、手のつけられない放蕩息子であったり、犯罪者であったりする場合がある。警察官の子どもが非行少年というのもこれにあたる。
こういった親は、自分のなかの否定的な者を切り捨てて生きている。正しい生き方が強調されている分、影も深い。子どもがその影を生きることによって、家族全体のバランスがとれている場合が少なくない。親がこういった人格者ではなくても、非行少年には多かれ少なかれ、親の影を生きる側面がつきまとうのである。
『新版 Q&A 少年非行を知るための基礎知識――親・教師・公認心理師のためのガイドブック』(著者)村尾 泰弘 p.38
うちの家族を例に出すと、東大や、東工大に入学させることを夢見て(エリートになりたかったという欲ではないかと考えられます)、長男が何年も引きこもって浪人をしていました。父親が勉強をしろと言うので、従っているような感覚もあり、残念ながら受かりませんでした。
長男は特に、父親の影を生きていたと思います。今は、家を出て、家についての面倒は全く関与していません。おそらくは、解放されて、自身の人生を生きているのではないかと思っています。そう考えると、気軽に逢いに行くのも、悪い気がしてきました。
みなさんには、親の願いを叶えている、影を生きている感覚はありますでしょうか。それが、自ら望んでいることであれば良いのですが、人格を歪めてしまうほどの影響があるのであれば、第三者が寄り添う必要があるのではないかと思います。