刑務所に入った人の中には、再犯をされる方も少なくないと聞きます(最近のデータは分からないのですが、分かったら記載します)。
魔が差してしまうことは、人間なので、あるとは思っています。ですが、それを繰り返してしまうというのは(厳密には、再犯してしまう種類と、魔が差してしまう種類は違うとは思います)どうしてなのかと、単純な疑問がありましたが、その理由が次の内容でわかります。
非行少年や犯罪者のなかには、再犯をくり返し、罪の意識がほとんど深まらないようにみえる者がいる。彼らはもちろん、理屈のうえでは悪いことをしたという自覚はある。ではなぜ罪意識が深まらないのだろうか。
(中略)
被害者意識が強いということだ。(中略)罪を犯した加害者でありながら、気持ちのうえでは、あたかも自分が被害者のような立場に立っていることがわかる。彼らには理屈のうえにでは悪いことをしたいという自覚がいちおうはある。しかし、心のなかでは「自分は不幸である」「不運である」「不当な扱いをされている」と言った被害者意識が根強く、生活や行動はむしろこのような被害者意識に左右されているために、罪悪感が深まらないのだと考えられるのだ。
『新版 Q&A 少年非行を知るための基礎知識――親・教師・公認心理師のためのガイドブック』(著者)村尾 泰弘 p.24
自分が犯している罪の大きさよりも、被害にあっている方が大きいというのが言い分になるのかもしれません。
これだけ被害にあっているんだから、これくらいの罪を犯してもいいじゃないかとなるのかもしれません。
その罪を犯した先には、同じように被害にあってしまった人がいて、また同じように、被害者が加害者となってしまうという連鎖が起きてしまうのではないかと思います。
これは、一人ひとりの意識や価値観の問題になるのではと考えています。
これをすぐにやめることは、相当な難題であり、世界が平和になるというレベルで難しい問題ではないかと思います。
例えば、瞑想をしたり、マインドフルネスなど、自分で何とかするという方法が流行っていますが、一人ひとりが、個人の中で少しずつでもその習慣が身に付くことで、それぞれが幸せになり、本当の意味で、世界中の人が平和になるのではないかとも思っています。小さなことから、平和の種を蒔くことが、いまできることなのかもしれません。