都会で他人に介入することは難しい

田舎の方が距離が近く、都会では遠いという、人との距離が異なるのは、迷信ではありません。田舎は人が少ないために、街も栄ない。刺激が少ないために、人間から刺激を受けなけれなならないので、人間関係が親密になりますが、都心では、人が多く、街も栄えています。刺激が多いために、人と密接に関わる必要もないと思います。隣に誰が住んでいるかも分からない始末ですし、引っ越してきた近所の人から何か食べ物をもらったら、怪しいものが入っていないかと疑ってしまうほど、人との距離が離れています。

都心という環境で、街ぐるみで子育てをしたいと思っていましたが、この気質を理解しなければならないと思います。都心という環境は、次の通りです。

単刀直入に「席に譲ってもらえますか?」と尋ねるものでした。大学院生の多くは、熟考した末にこのボランティアを断りました。1人の学生が果敢にも志願し、「席を譲ってくれた人がいた!」と興奮しながら研究室に戻ってきましたが、これは極めてストレスが大きな体験だったということでした。

そこでミルグラムは自分自身で試してみることにしました。が、地下鉄の車内で座っている人に近づき、席を譲ってもらうよう尋ねるのは窒息しそうなほど苦そうなほど苦しいもので、実際にミルグラムは気分が悪くなってしまいました。

他者に介入しないという規範はとても強力で、既に私たちの心に内面化されてしまっているために、この規範を破ろうとすることは大きな苦痛を伴うのです。

ミルグラムにとって、これが都市に住むことの本質でした。つまり、都市は過負荷な刺激を生み出す装置なのです。そして人は、その刺激を減らすための適応戦略を採用し、都市ではそれが当然の規範と考えることで、この問題に対処しようとしているのです。

ハーバードの心理学講義』ブライアン・R・リトル(著) p.222

この例は海外になりますが、日本の都心の方でも同じようなことが言えると思っています。

人が悪いのではなく、環境がそうさせていると、個人的には思います。環境に順応した結果が、このように他人に介入しないという結果になっていると考えられます。

「都会の人は冷たいな」ではなく、都会だから、冷たくなければ生きていけないのだと思います。

作成者: Tangoo

どうしたら、幸せになれるのか、それを知るために、本を読んだり、旅に出て、見たり聞いたり、人に合ったりしています。そこで、学んだこと、知ったことをブログにしています。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。