前回からのつづきになります。
著者 吉村葉子の『フランス人お金を使わなくてもエレガントな理由』では、フランス人から見た日本人の価値観の違いについて、ご紹介します。
例えば、
フランス女性らしい彼女が私に教えてくれたブランド無視の理由が、色にあったのです。
「ルイ・ヴィトンとかディオール、セリーヌなどのブランド品は、私には似合わないの。子どものときはマロンだった髪の毛が、いつの間にかグレーになってから、色にとてもデリケートになった。グレーの髪には、ブルーやルージュ、ジョンヌ(黄色)、ヴェール(緑)は似合うけども、黒や茶色のロゴマークのあるダークな色調はおかしい。だいたいブランドものは、私のグレーの髪に似合わないのよ」(p.79)
ブランド自体ではなく、自身が、その色が似合う似合わないで判断をしていることもあり、選ぶことがないというルールは、日本人にはない価値観かもしれません。
エレガントに見える見えないの基準は、自身に似合う似合わないが根底にあるということが、よく分かります。
もちろん、ブランドの服が似合うのであれば、着ているのかもしれません。ですが、高級思考ではないとも思うので、結局購入はされないのかもしれません。
金髪にはブルーが似合うし、黒髪にはルージュが似合う。お友達と自分とは髪の質も色もちがう。目の色もブルーやグリーン、濃い茶色や黒い瞳と、ひとりとして同じ色をしていないという環境で育ったフランス人と、一般的に黒髪の私たち日本人とは、しょせん同じではありません。ですからカティアだけでなくフランス人は子どものことから、色に対する感受性が高いのです。(p.80)
黒髪にはルージュが似合うのは、なんとなく分かっていましたが、実際に合わせてみると、合う、合わないは、鏡の前で、しっかり確認しなければならないと思います。
この法則だけになると、どうしても、日本人はみんなルージュだらけになってしまうということになります。
違いは、肌の色、瞳の色などで、調整をしていくという、判断基準は、すでに自分で持っているものになるのですから、自分に合う色は、自分にしかないということになります。
「服が無地なら、髪と服で二色なので、もう一色ということになるわね。グレーの私の髪には、グレーの服が合うけれども、その場合の小物はバッグと靴が同じ色で、できたら原色がいい。グレーの髪に赤いワンピース、黒い靴とバッグもいいでしょ。服に二色あるときは、その中の一色でヘアーバンドや靴、バッグを合わせればベター」(p.81)
ここから分かることは、服の色も合わせて、三色ルールというのがあるようです。
しかも、小物も色を合わせるというのは、重要になるようです。
色でグランド品を買うというのではなく、グランド品を持つということが、日本人としては重要なことであって、似合う、似合わないというところを考えていないような気がしました。
服と、自身の身なりがピッタリとマッチしていることが、エレガントということなのかもしれません。というより、みんな、これを求めているのではないかと思いますが、いつのまにか、流行の服を着なければならない、毎年セールで何かを買わなければならない、福袋を買わなければならないという強迫に、毎回追われているような気もします。
確かに、そういった方のお陰で、経済が回っている、活性化しているということもありますが、そんなことをする必要がないと思っているのならば、しなくていいのではないかと思います。
着る服に合わせてシャドーを塗り、ときにハイライトを使い、アイラインを引きます。服選びは目の色に関係します。そして仕上げのマスカラは絶対に忘れません。どんな地方のスーパーでも、マスカラとアイラインの色揃えは豊富です。黒や茶は当然ですが、明るいブルーと濃紺、グリーンも最低で二種類はありますし、グレーやニンジン色もあります。そしてせいぜい口紅とチークぐらいで、オー・ド・トワレを首の辺りにひと吹きして、マドモワゼルたちは颯爽と出かけていくのです。(p.94)
色彩についてのルールは、服だけではありません。
メイクについても同様のルールが存在しているようです。
通して考えると、全てに調和がされていることがエレガントなのかもしれません。
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