照明について、日本は明る過ぎると訴えている方の本をご紹介しましたが(日本は明るい照明の文化など)、良い悪いという話ではなく、照明を変えることによって、同じ空間が違った空間に、視覚的に感じることができるというのは、確かではないかと思います。
例えばですが、全体的に明るくしたい場合には、日本ではお馴染みのシーリングライトがあります。このシーリングライトは、お部屋全体を明るくすることができますが、欠点があります。
例えば、食事の際に、テーブルに盛られた料理が、シーリングライトの位置によって、人間の影ができてしまうということがあります。
そう考えると、シーリングライトで、どんなにお部屋が明るくても、今注目したいモノに対して、明るいライトが当たっていないことになります。
盛られた料理だけではなく、テーブルで読書や、会計処理、書き物などをしている際にも同じことが起こります。
今必要な部分に明かりが当たっていないというのが、日本の照明なのではないかと思います。
例えるなら、水を出しっぱなしで食器を洗っている際に、食器に付いた泡を落とすのに、水圧が足らず、更に水を強く流してしまう(蛇口をひねってしまう)という経験はないでしょうか。
そもそも、水を流していて、それで十分なはずなのに、必要な水圧が足りないと感じてしまい、更に、水を強くしてしまうという現象は、照明も同じではないかと思いました。
シーリングライトで十分だと思っていたが、必要な部分で必要な分の照明が足りていないから、追加で、テーブル用の照明を置いて、結果的には明かりが強くなりすぎてしまうという現象です。
個人的には、これは贅沢だし、もっといい方法はないのだろうかと考えていましたが、北欧あたりのインテリアを見ると、そもそも、シーリングライトらしき照明がなく、テーブルの上に、目線くらいまで降りているピンスポのライトがあったり、ソファの隣に垂れ下がっているライトがあったり、そのスポットごとに必要な明かりの環境が用意されていることが多いように感じます。
確かに、この方法であれば、必要最低限の電力で、必要なことを済ませることができます。
もうひとつの利点は、ピンスポになることで、照明が当たっていることに集中することができます。まわりが明るいと、情報量が増えることになるので、気が散るということも考えられます。
目の前のことに集中できるということは、個人的には、幸せなことだと思います。
結果的に、最小限の電力で済ませることができるので、環境にも優しい生活になるのではないかと考えられます。
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