『イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ』では、ハーバード・ビジネススクールの教授が、人生が手遅れな方向に行ってしまう前に、考えて欲しいことを書き留めた本です。
”残念ながら、資源には限りがあるため、それぞれの事業は資源を得ようとして競い合う。つまり、わたしたちも企業と全く同じ問題をかけているのだ。それぞれの事業を追求するのに、どの資源をどれだけ配分すべきだろう?
あなたの資源配分プロセスは、意識して管理しなければ、脳と心にもともと備わった「デフォルト」基準に沿って、勝手に資源をふり分けてしまう。”p.80
例え話で、企業の戦略を考える際に、限られた資源を競い合い、そして、それを利益になるように、配分をするというのが、大雑把な流れなのだが、これは、人の人生にも当てはまるではないかという話です。
資源というのは、お金と時間になり(人も入りますが)、それを、人生の中で、細かくすると、1日の時間でどのように配分をしていくのかというのが、自身の利益(ここでは金ではなく、叶えたい未来になります)になるのか考えなければならないのに、勝手に、今までの習慣によって、物事の出来事を、自身の固定概念フィルターにかけてしまい、利益とは無縁な方向へと選択してしまう可能性がある。
企業であれば、これは、倒産へと導いてしまうので、しっかりと計画と立てて、途中で見直して、反省して、軌道修正をしてなど、慎重に行うのに、どうして、自分の人生については慎重にならないのだろうかということです。
そうは言っても、、、と諦めてしまったら、倒産した後に、やっぱり、どこかで反省をして、進んでいる道が合っているのかを見直す必要があると、失ってから気づくのでは遅い。
しかも、企業などであれば、破産手続きなどの救済があるが、人生についての救済はなく、なかなか立ち直るのも、難しい(自身の精神次第ということです)。失って怖いものの方が多いことに気づくのが、遅いと、その部分に投資をすることを先延ばしにしてしまい、負債を負うことになるというワケです。
要するに、企業の戦略と同じくら、自身の人生についても戦略を慎重に考える必要があるということが言いたいのです。
家族だから、分かってくれるだろうと、ワガママになることが多いですが、そのワガママは、いつまでも続くと思ったら大間違いであるということを、分かっていなければなりません。
大切な存在を失ったときのことを考えれば、想像はできると思いますが、それが難しいならば、倒産してからでないと、あぁぁ幸せだったんだなと、実感することはないのかもしれません。
それは、本当に不幸なことであると思います。
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