犯罪者の心も“善”である

犯罪者は0歳児の時から始まっているという事を、「ホンマでっか!?」などの番組で聞いた事があり、そこから、教育について興味を持ったのですが、子どもの姿を見ていると、大人も同じであると、個人的には思っています。

 

アルフレッド・アドラー氏も、近しい事を述べてくれています。

行動に問題があるとしても

その背後にある動機や目的は

必ずや「善」である。

アルフレッド氏が言っているのは、子どもがかんしゃくを起こして、表現として出てしまった行動が大人にとっては悪な内容であっても、その行動の原因は、「母親と一緒にいたい」という善な理由からになる。

それが分かっていれば、叱る時の態度も変わるのではないかと思います。

要するに、行動として現れている内容が問題になっているので、子どもを傷つける事なく、落ち着いて話す事も可能であると思います。

母親としては、「私だって一緒にいたいんだよ」と、気持ちに対しての受け答えをする事でも、かんしゃくはおさまるのではないかと思います。かんしゃくをしている場合は、早急に判断しないと、悲しいから泣いているのではなく、泣いているから悲しくなってしまう可能性もあるので、感情が次々に変わってしまいます。

大人に対して、欲求があるときには、その時に満たせることが、不安などの気持ちに襲われなくなり、精神が安定します。

 

個人的には、この話は、犯罪者にも同じ事が言えると思いました。

犯罪者が行動を起こすときには、善であるのではないかと。

そのときの自身の考えの中では、その方法が一番の善の方法であると思って行動をしているという状態が、犯罪ではないかと思っています。

悪い事だと分かっていながらも、それを行動した時にも、理由があって行っており、その根本的な理由は、本人にとっては善であるという事ではないかと。

ただ、その表現の仕方が問題であったというだけではないかと。

 

人間はみな、善であるという考えがありますが、何を持って善なのかによります。

ご自身それぞれの概念であるならば、善であるのではないかと思います。

 

個人的には、犯罪者が、本当に悪であるとは思えない。

それが、社会にとって、悪であるならば、気付かせることが重要であると、個人的には思います。

 

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<参考書籍>

作成者: Tangoo

どうして人は罪を犯してしまうのか、その原因を知るために、本を読んだり、旅に出て、見たり聞いたり、人に合ったりしています。そこで、学んだこと、知ったことをブログにしています。

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