以前、スティーブ・ジョブス氏と一緒に働いたことのある方の著書を読んで「すべてをシンプルにすること」を書きましたが、今回は、このシンプルということが、問題になってきます。
『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』では、以下のように記されています。
シンプルなものの見方に私たちは惹かれる。賢い考えがパッとひらめくと興奮するし、わかった!理解できた!と感じられるとうれしい。パッとひらめいたシンプルな解が、他のたくさんのことにもピッタリと当てはまると思い込んでしまうのは、よくあることだ。すると、世界がシンプルに見えてくる。
すべての問題はひとつの原因から生まれているに違いない。だから、何がなんでもその元凶を取り除かなければならないと思ってしまう。
すべての問題がひとつのやり方で解決できると思い込むこともある。すると、異論は許されない。そう考えれば、何もかもシンプルになる。
大変だ、これは完全にわたしのことだ。
だけど、犯罪のことを調べていると、原因はシンプルにひとつではないということは知っていたので、あまり驚いてはいない。どこかでシンプルに原因がわかれば、それを片付ければ解決することができれば、いいのになぁとは思っていたし、探しているのも確かだ。だけど、今現在、その答えは分からないままだ。
でもここに、ひとつちょっとした問題がある。それでは世界をとんでもなく誤解してしまうということだ。そんなふうに、世の中のさまざまな問題にひとつの原因とひとつの解答を当てはめてしまう傾向を、わたしは「単純化本能」と読んでいる。
そうだ。わたしは完全に、この「単純化本能」が働いていたのだ!
今もそうだ!なんてこった。
この例えとしては、こんなことを言っている。
「自由市場」と言えばシンプルで美しい概念に思えるけど、それだけを信じ込めば、世界をひとつの切り口でしか見られなくなってしまう。すべての問題の元凶は政府の介入にある、と考えてしまうのだ。だから、政府の介入には何がなんでも反対したくなるし、市場の力を自由に発揮させれば万事うまくいくと思ってしまう。
シンプルに悪いのは、全部何かのせいにしてしまうことで、気持ちがおさまるということではないだろうか。気持ちが落ち着くと言った方がいいだろうか。
周りも、ひとつに集中することで、共感することができ、それを正当化することができる。
そう考えると、この行動はもはや宗教なのではないかと思ってしまった。
ということは、みんな何かの信者(そう信じたい者)であるということなのかもしれない。
そう考えると、みんなで同じ気持ちでひとつになっていれば、本当に正しいことなんてどうでもいいのかもしれない。
ですが、わたしは正しいことが知りたい信者です。
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