『子どもはなぜ嘘をつくのか』を読んで、付箋を貼っているのだが、その付箋が最後を迎えました。エピローグで述べられている、本当に最後の部分になります。
大人でも他人の情報をすべて知ることなどできないが、自分の子どもたちに関しては、しばらくの間それが可能である。子どもが幼いうちは、どんなふうに感じ、何を欲し、何をしたがっているかを私たちは知る必要がある。
というのも、子どもは私たちに全面的に依存して生きているからだ。しかし、成長するに従って、私たちは子どもたち中心でも、生きる手段でもなくなっていく。
嘘は子どもの権利を主張する。
私たちに異議を唱える権利、自分のプライバシーを求める権利、何を明らかにし、何を明らかにしないかを決定する権利である。(248ページ)
(中略)嘘は近しさや親密さを損なう。他方で、不信の温床となり、信頼を裏切る。(中略)しょっちゅう嘘をつくような人物と一緒に暮らすのはほとんど不可能である。
嘘だと分かった時には、誰だってショックですし、信じられない気持ちになります。
大人もそうですが、理由もないのに、嘘をつくことはありません(驚かせたくて、つく嘘は喜ばせるためなので、嘘とは言えないと思います)。
嘘をつかれてしまった人は、嘘をついたことよりも、どうして嘘をついたのか、根底となる動機の理解に努めようとすれば、裏切られたと思う感情や、傷つけられてしまったというような感情からも解放されるのではないかと思われます。
とても重要なことがあって、それを知られたくない、むしろもっと傷つけてしまうから隠すためについているのか、それとも、自分を正当化するために嘘をついているのかもしれない。
ポール・エクマン氏は、嘘をついた子どもに対して、こんな風にして接して欲しいというお願いを述べていましたので、ご紹介します。
他の子どもを傷つけるとか盗みを働くといった悪さをした場合でも、思いやりの心を持って叱ってやって欲しいのだ。
屈辱を与えるのは避け、自尊心を取り戻す方途を示してやって欲しいのだ。
悪いことをしてそれを隠そうと必死になって嘘をついた場合、もちろん罰する必要はあるが、許すことも必要なのだ。(250ページ)
嘘をつくことは決して良い行いではない。一緒に生活をしていく上で、信頼関係が必要となるためであると思う。内容によって、罰の内容も変えるべきであると個人的には思っている。許さないということにはならないと信じたいが、許せない状態が、もしかしたら、虐待をすることにつながるのかもしれません。
大切なのは、真相心理があり、嘘という表現をしたということです。
嘘は、ついてしまった境遇を理解し、嘘については許す精神が大切なのかもしれません。
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