子育てをしている時に、子どもが明らかな嘘をつくとき、あなたなら、どう思うだろうか。裏切られた気持ちになってしまうだろうか。つい先日(1週間以内くらいです)に、日本で起きてしまった次男に対して母親が足で蹴る、踏みつけるという、なんとも残酷な動画をテレビのニュースで拝見しました。
暴力を振るってしまった母親は、次男(たしか7歳と言っていたと思いますが、小さく見えました)が、嘘をつくからという理由でした。おそらく、その暴力を振るっている動画を撮ったのは長男(中学生と言っていた気がします)ではないかと思います。
父親は分かりません。子ども2人は保護されているということなので、ひとまずは安心です。
人がつくる表情のことを研究をされている、個人的にお世話になっている方がおりまして、この方が書いている本を狙って読んでいるワケではないのですが、手に取る本が、この方だったという感じで、求めている答えを探ってくれている感があります。ポール・エクマン氏が著書の『子どもはなぜ嘘をつくのか』を、引用しながら、ご紹介します。
子どもにとって、嘘をつくという行為が持つ意味合いは、大人の場合とだいたい同じである。大人と同じように子どもも、罰を避けたり、何らかの目的を達成したりするため、あるいは相手を騙したり、見くびったりするために、偽の情報をつかませる。
-大人と子どもとでは嘘に対する見解が異なった物となりうる。-(171ページ)
嘘の種類の中で、唯一、子どもにとっても大人にとっても実質的に同じ意味合いを持っていると考えられるのは、無害な嘘である。
-誰かのためになり、かつ、大きな反発を何も招かないよう意図された嘘のことだ。-(172ページ)
大人がつく嘘については、考えただけで、残念な気持ちになってしまいますが、組織的に嘘をついてしまうと、その嘘を真実にするために、また嘘をつくというような、取り返しのつかいないほど、深いところまで行ってしまって、その組織の存在意義まで、脅かしかねないと、個人的には思っている。抜け出したいのに、抜け出せないというような感じだろうか、もう、この話はしたくないので切ります。
この無害な嘘というものは、一体何なのかを、著者が例をあげてくれています。
例えば、本当は思っていないが、似合ってもいない服を、似合っていると言ったりすることだったり、なぜ自分の機嫌が悪いのかについて心配させないようにつく嘘などになる。
無害なのかというと、正直なところ個人的には分からないが、どちらかというと、相手を陥れることが目的ではない嘘でいいのではないかと思う。
親によっては、こんな嘘でも、虫の居所が悪いと、魔が差してしまうだろうと考えられる。
子どもの嘘を考える時に、権威が絡む関係性が重要な意味を持つのは何故だろう?
それは子どもが親と教師との間に、権威のからむ関係を持っているからだ。
この二つの関係、とりわけ親子関係は、他の全ての関係を足し合わせたよりも、子どもが嘘をつく状況を生み出しやすい。
大人も似たような関係を持っているが、権威にまつわる関係は、成長するに従って消滅していく。
大人も依然として両親に対処する必要があるかもしれないが、離れ離れに暮らしていれば会うことも少なく、嘘をつかなければならない状況に立たされることは滅多にない。
-会う機会が少なくなるということは、嘘をつかなければならない機会も少なくなることを意味するのだ。-(178ページ)
この話は、何となく分かる気がします。初めてあった人に対して、嘘をつく必要性はありませんし(ビジネスの場合は表現で嘘をつくことはあります)、子どもの場合は会う機会が多い人に対して嘘をつくということは、理屈としては理解ができます。
なぜ子どもは親にこんなにもたくさんの嘘をつくのだろう?
第一の理由は、子どもの健全な発育を願う親たちが、つねに子どものすることを見守っているからだ。
子どもたちはトラブルに巻き込まれそうなことをしばしば隠そうとする。親に向けられる大部分の嘘は、罰や説教をさせるのが目的だと思う。
罰せられて当然のことを、子どもは隠そうとするのだ。
ありふれた嘘は学業に関することだろう。将来子どもが人生で上手くやっていく上で学業は重要な意味を持っているのだ。
アメリカが舞台となっているが、日本でも同じであると考えられる。
結局は、子どもは、親に対していい顔を見せたい。期待を裏切りたくない。心配をかけさせたくない。悲しい顔をさせたくない。という気持ちから嘘をついているというのが、純粋な嘘となる。
じゃぁ許していいのか?というと、それはまた話が違ってくる。嘘をつかなければならない状況になったのは何故なのか、嘘をついたことに対して問いただすのではなく、根元は何なのかを一緒に話し合う必要があると考えられる。
ポール・エクマン氏は、こういうことだろうという意見と共に、子どもに対して、こうして欲しいという助言まで載せてくれている。
この本自体は、論文よりも、ブログに近いような、主観的な意見も含まれているため、誰でも読みやすいように展開されています。
また、サブタイトルで区切ってくれているので、読みたいところだけ読むということも可能になっています。
子どもに対しての接し方については、また次回にしたいと思います。