近隣の援助に介入する壁

近隣の壁

父親によって女児の命が犠牲になってしまった事件がありましたが(絶対に何とかできた命は、みんなで救えないかSOSを出して欲しい)、児童相談所を責めても、女児の命は戻ってはきません。

児童相談所が悪いのでしょうか。それも分かりません。政府、行政の不正は多いのは、どうしてなのでしょうか。日本特有の人間関係、過労によるストレス、暗黙の了解などが、重なり合っているのでしょうか。事実は分かりません。

同じ人間が、判断をしたのだから、それが、ご自身だった場合だって考えられます。原因が明確でないものに対しては、誰かを責めるという、無駄なエネルギーを使うのはやめて、どうしたら、良かったのか?ということを考えることが、大切なのではないかと思います。

原因がわからないことには、根本的な解決にはならないので、組織の中、第三者委員会で、真実が解明され、公表されることを願うしかありません。

 

この近隣の異変について、どのように介入をすればいいのか、考えてくれている本がありましたので、ご紹介します(『知っておきたい最新犯罪心理学』)。

 

地方に行くと、生きるために、近隣付き合いのネットワークがいまだに多く存在していますが、都心では、日常生活の場では、できる限り相互にかかわらずに、個人で処理をするという社会(私事化社会)が、望ましいとされるようになっていること(産業社会、都市化によって、近隣同士で助け合わないでも、生きていけるようになったため)で、近隣付き合いが気薄となっているのが現状となります。

 

都心では、人が冷たいとされていますが、人のプライベートに関与をしないという面もあり、居心地が良いという方も中にはいると思いますし、コミュニティを作りたい人は、ボランティアなど、自分で積極的に参加をすればよいことになりますので、ある意味、人それぞれの歩みたい人生にデザインすることができるので、これが、いいとか悪いとか、そういうことを言いたいのではありません。

問題になってしまうのであれば、とっくに、事件が多く勃発していることだと思いますが、この都市化に以降していることは、時代の流れであるのではないかと思っています。

現に、地方よりも、都市部の方が、殺人事件の件数は少ないことが判明されているようです(農村部は、ヤマアラシのジレンマ現象)。

 

話が長くなってしまいましたが、この本で紹介されているのは、以下の通りです。

❶起きている異常事態に気づく段階

❷その異常現象は援助されるべきかどうかを解釈する段階

❸その異常事態に介入し、援助すべき「責任者」を確定する段階

❹責任者を自分で考えて、とるべき援助・介入手段を整理・選択する段階

❺援助や介入を実行する段階

 

分かりにくいので、例えば、

❶隣の家族が悲鳴をあげて、大きな音もする。それが頻繁にあることに気がつく

❷1日目は、様子を見たが、ほぼ、毎日のように続いており、近所迷惑でもあるので、なんとかしなければならないと決意をする。

❸近隣の人で知り合いもいないので自らがなんとかしなければ、ノイローゼにもなってしまう。

❹警察に通報する。

❺警察の人に問題解決をお願いし、報告を待つ。

このような感じです。だいたいは、住民の方々がどうにかできず、警察の方に問題解決をお願いするということが多いと思います。ここで、なかなか来てくれなかったりすることもあるようです。

人によっては、近隣と言っても、知らない人だし、急にこちらにも危害を加えられても困るので、警察の方にお願いするしかないという手段は多いのではないかと思われる。

だが、だいたいが、行動するのも面倒で、誰かがどうにかしてくれるという精神の方も多いため、対応が遅くなり、蓋を開けて虐待であった場合には、もう手遅れであったということもあるのだそうだ。

 

誰かが、声をあげるだけで、救える命がひとつでもあるのだとしたら、通報することくらいの、重い腰も、軽くなるのではないかと思ってしまった。

隣の部屋が、事故物件になってしまう前に、都市部に住んでいる、住民いち個人ができることは、通報することであると、改めて思いました。

 

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作成者: Tangoo

どうして人は罪を犯してしまうのか、その原因を知るために、本を読んだり、旅に出て、見たり聞いたり、人に合ったりしています。そこで、学んだこと、知ったことをブログにしています。

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