写真:新都心
1981年にパリでオランダ人女子学生を殺害し、
強姦後にその肉を食べた日本人学生の佐川一政である。
彼は、精神異常と診断され、日本に送りかえされたあと、
まもなく解放された。
その後、彼は英雄とはいわないまでも、
マスメディアによってまつりあげられ、
何冊もの本を書き、
公衆の前に姿を見せたばかりか、
ついにはアダルトビデオにまで出演したのである。
犯罪者は、誰にとっても、プラスな存在ではなく、マイナスな存在となりますが、サスペンスやら、ホラー映画など、恐怖を与えることが、平凡な日常を過ごしている人々にとっては、快感になることがあります。
もちろん、すべての人に当てはまるワケではありませんが、ホラー映画は、一部の人から熱狂的な支持を得ているのは事実である。
個人的には、ストレスが溜まって溜まって仕方がないときに、ホラー映画を見て、ストレス発散になる方もいると思います。
あまりにも、精神的に病んでいるときに見てしまうと、冷静な判断ができなくなり、ホラー独特のドキドキが、アドレナリンを上昇させて、行動に勇気を与えてしまうことだってあるのかもしれません。
プラスにもなり、マイナスにも働いてしまうように、個人的には思います。
殺人者の特徴の一つである、本能のままに行動を起こすという面を考えると、日常生活の中には、本能のままにいられないことの方が多い一般人にとっては、殺人者のように、本能のままに生きることは、ある意味ヒーロー的な存在となっているのではないかと思われる。
芸人さんである、渡辺直美さんは、食べたいときに、食べたいだけ、食べたいものを食べているというスタイルで、体もワガママボディとなっているにも関わらず、支持を得ているのは、この本能に関係があるのかもしれないと、共通点があるのかもしれない。
マツコデラックスさんも、この共通点があるのかもしれない(お2人の人気は、本能のままだけではなく、謙虚な姿勢があるので、誰からも支持を得ていると思っている)。
いつしか、このホラー、殺人者は、脚光を浴びる存在となり(手口が変わっている、残虐であればあるほど)、それが、映画や、小説となっているほどなので、ショーのようになり、エンターテイメント化していっているという、悲しい現実がある。
このエンターテイメント化は、被害者のことなんて、何も考えられていないとしか思えない。被害者の数は少ないとはいえ、もし、自身が被害者になったら、ホラー映画も、サスペンスなんかも、もう二度と楽しめず、見ることもできないのではないかと思ってしまいます。
殺人者は、ヒーロー的な存在として、一部の人々に勇気を与えているということを、認めなければならないのか。
個人的には、殺人者の存在を知ることによって(公には、情報は公開されないので、真実は警察にしか分からない状態なのも、問題であると思っている。多くは、映画になることで知るのではないだろうか、または、ドキュメンタリーの書物として発売されることもある)、こんな殺人者と同じ道を辿らないようにという、反面教師的な学びになり、その殺人者の悲しさ、人生などを受け止めることによって、殺人者そのものの存在を理解することで、殺人者の方が、報われるのではないかとも、個人的には思っている。
本当に殺人者が、100%悪なのか?というのは、絶対には言えない。
だが、社会のルールに我慢できず、行動したことが、法に反していただけということではないかと思う。同じ人であり、誰もが、犯罪をしてしまう可能性があるのだから、差別するのは、間違いであると主張したい。
註:『殺人の歴史 (「知の再発見」双書154)』ベルナール・ウダン 創元社 2012-03-08