写真:新宿の一角
人生は、楽しいときもあれば、辛いときもある、その人生について、アドラー氏の考えは、次の通りです。
人生が困難なのではない。
あなたが人生を困難にしているのだ。
人生は、きわめてシンプルである。
アドラー氏によると、“困難”にしているのは、自分自身であるという訴えです。
現在の人生を決めているのは、「運命」や「過去」で出来上がっていると思っているのは、自分自身であり、困難だと思っているのも、思い込みというワケです。
人生は、考え方次第で、いくらでも変えることができるのだと分かると、なんだか世の中が、簡単に見えてきます。
価値観が異なるのは、人それぞれが、考え方が違うからというのは、考えれば、簡単な理屈であるのに、辛いことがあると、この考えになれないのは、何故なのでしょうか。
きっとその時は、辛い気持ちに浸りたいときなのだと、気がすむまでその気持ちに浸ることで、満足したら、きっと次に進めるのではないかと、個人的には思います。
猫を見ていて思うのですが、辛い顔や、嬉しい顔はしないのですが、怒っている顔はしているなと思うのです。それって、生きている時に、怒っている顔しか必要ないってことではないかと思うと、人間は、怒ることも、笑うことも、泣くことも、必要なことって考えると、面白いなと、最近思います。
今感じていることを、素直に受け止めるだけで、人間は、人格者になれるのではないかと思ってなりません。難しく考えてしまうのは、人間の悪い癖、習慣なのかもしれませんね。
まだあります。
「親が悪いから」
「パートナーが悪いから」
「時代が悪いから」
「こういう運命だから」
責任転換の典型的な言い訳である。
誰しもが、一度は思ったことがある、言い訳がこの中にあるのではないでしょうか。
この中に、該当するものがなくても、自分自身ではなく、何か別のものが原因であると思ったら、それは、これに該当します。
アドラー氏が言うには、どんなことが自分に降り注いだとしても、運命のせいにするだけでは、何も変わらないと言うことです。
今の状況から抜け出すのも、そのままでいるのも、自分自身で決めることであり、アクションしたことが、反映されると言うワケです。
つまりは、誰もが、自らを変える力を持っていて、それを使うか、使わないかと言う選択をしている、ということになります。
そう考えると、使わないと、もったいないと、誰でも思いますよね。
まだまだ、あります。
敗北を避けるために、時に人は自ら病気になる。
「病気でなければできたのに・・・・」
そう言い訳して安全地帯へ逃げ込み、ラクをするのだ。
人生を変える選択の中に、越えられない壁が目の前にあると、それに挑戦をするか、それとも、失敗してしまうのを恐れ、病気にかかったフリをして、挑むことを避けるか。
だいたいの人は、病気にかかってしまうように、個人的には思います。
人は、人生の敗北を避けるために、病気にまでなると聞くと、大げさに聞こえるかもしれませんが、敗北してしまった、敗北してしまいそうな時に、何か言い訳を見つけることはありませんか?
それは、自分自身から逃げていると言うことになります。
自分が可愛いというワケです。
可愛がっている間は、いつまでもその壁を乗り越えることはできません。
負けてもいいから、挑むことで、運命が変わっていきます。
すぐには変わらないかもしれませんが、少しずつ、変わって行きます。
やりたいことがあるなら、今すぐにでも、挑みたいと思ってきませんか?
そして、最後に
「やる気がなくなった」のではない。
「やる気をなくす」という決断を自分でしただけだ。
「変われない」のではない。
「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。
「あきらめる」ということを選んでいるのは、自分であるということです。
アドラー氏は、「叱られたから腹が立ち、やる気がなくなった」のではなく、叱られたときに、自分自身の中にある、数多くの「認知」「意味付け」の中から、“怒り”を選び、それを理由にして、やる気をなくす選択をしているだけなのです。
全ては、選択し、決断してきた軌跡というワケです。
言い訳をしている方は、恥ずかしいと思えてくるかもしれません。
そう思ってくれたら、この記事を書いた甲斐があります。
註:『アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉』小倉 広 ダイヤモンド社 2017-08-31