非行少年には、非行カウンセリングというプログラムが用意されているそうです。そのカウンセリングでは、カウンセラーが共通として意識していること、認識していることがあり、特に「受容」についての考え方が、一般的にも参考にできると思ったのでご紹介します。
受容とは評価を入れずに共感することだと考えている。評価を入れないとは、「よい・悪い」の判断を持ち込まないということである。ここが教師の対応と根本的に異なるとこであろう。
「父親を殺す」。このことがよくないことは明らかである。だから、教師であれば、この少年が父親を殺さないようにアドバイスすることを考えるかもしれない。(中略)「父親を殺す」ということが「よいこと」か「悪いことか」という「よい・悪い」の次元でとらえることを、まず一時的に棚上げするのである。「よい・悪い」の次元で考えることをいわば網棚のうえにのせ、この少年がどのような気持ちであるか、そのありのままの気持ちを共感していこうとする。これが我々の考える受容である。
『新版 Q&A 少年非行を知るための基礎知識――親・教師・公認心理師のためのガイドブック』(著者)村尾 泰弘 p.44-45
保育園でも、この考えは採用されており(していない園もあるとは思います)、「良いね」「スゴいね」などの、評価を表す表現をなくすことによって、人に対してどのように評価をすることができるのかを想像してみて下さい。
そもそも、評価をしようとする行為自体をなくすことによって、誰かと比べることなく、個人の事実を尊重することができ、自分は自分でいいんだと、精神も安定していくと思います。
SNSでは、「いいね」が欲しくて、話題になるようなことをあえてアップすると思いますが、この「いいね」をしてくれた数で、自分の価値が認められているとなると、減ってしまったら、自分の存在価値がないという考えになるのは、自然ではないかと思います。
期待している気持ちがあって、人と接していることも多いと思いますが、その期待は、話を聞いている本人の自由ですし、それはいけないことであるとは言えません。ですが、話を聞く相手に対して、その期待を押し付けることは、ありのままの気持ちを聞いていないことになり、その相手の気持ちを尊重していないことになると考えられます。
カウンセリングなので「共感」という言葉がありますが、一般人であれば、その気持ちをありのままに、阻害することなく聞くことだけでも、実践ができていると言えないかと思います。理解するのではなく、その人が考えていることを知るというだけで、評価がない分、冷静に聞けるのではないかと考えられます。その上で、どのようにするかを、自分の気持ちと合わせて妥協点が見出せることで、平和、円滑が生まれるのではと思います。