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誰かに私の気持ちを「わかってもらいたい」と思うのはワガママなのか?

私の気持ちを分かって欲しいと思うこと自体、難しいことなのでしょうか。結婚相手を探すみたいに、気持ちを分かってくれる人を探し続けることが最善なのでしょうか。

気持ちを分かって欲しいと思うこと自体が、ワガママなのではないかという意見がありますので、ご紹介します。

医療の問題については何もわからないその人に、病院の状況を正確に知ってもらいたい、その上で私を支持してもらいたい、と思っていたわけではなかったのだ。いや、むしろ何も医療のことなど知らないまま、「なんにせよ、君が一生懸命やっていることに水を差すなんてひどいね。僕は君ががんばっていること、よくわかっているよ。本当にたいへんだね」とやさしく言ってもらいたかっただけなのだ。

いま思うと、とんでもなくワガママだが、「わかってもらいたい」という思いには、常にこのワガママがつきものなのではないだろうか。

「わかってもらいたい」という病 (廣済堂新書) 香山リカ p.115

この分かってもらいたいという気持ちは、自分ではない誰かに良い評価をしてもらいたいだけなのではないかというのが、この著者のひとつの意見のようです。

評価して欲しいの他の誰かに、私の気持ちを知って欲しいだけではなく、同じ気持ちになって欲しい、という願望もあるのではないかとも思いました。

2017年神奈川県座間市のアパートで、男女9人の遺体が見つかった事件がありました。ここにも、わかってもらいたいという気持ちが関係していると、著者は考えられています。

「わかってほしいけど、その後に必ず死にたい」と決意を固めている人もいれば、「本当にわかってくれる人がいれば、そこからまた生きていくかもしれない」と生きるほうに淡い期待を持っている人もいる。ただいずれにしても、自分でも本当に自分はどうしたいのかが決まっておらず、「もうどちらでもかまわない」と思っている人が多いと考えられる。「生き続ける」と「命を経つ」は決定的に違うことなのだが、その人たちにとっては「どちらでもいい」とその境があまりはっきりしていないのだ。

ただ、「生きても死んでもいい」とその点についてはあいまいな気持ちであるにもかかわらず、「誰かに知ってもらいたい。わかってもらいたい」という願望ははっきりしているので、彼女たちはSNSにその思いを書き込み、そして、それに目をつけた今回の加害者におびき寄せられてしまったわけだ。

「わかってもらいたい」という病 (廣済堂新書) 香山リカ p.129

生きても、死んでもいいの曖昧な状態で、死にたいという気持ちが強い人がいたら、その人の気持ちに引っ張られてしまう気もします。同じ気持ちになれて、共感することができたらそれだけで気持ちが良いし、報われる気持ちになったり、ひとりではない気がします。ですが、どこかで、生きる希望が欲しいと思っているのではとも思います。本当に死のうと思った方は、誰に相談するワケでもなく、静かに覚悟を決めるのではとも思います。

「誰かにわかってもらえた」という感覚は、「正確に完全に理解される」ということとは違う。

「わかってもらいたい」と思うとき、その人には「こんな風にわかってもらいたい」というイメージがすでにできている。それは、「私は自分で自分のことが全然わからない。だから誰かに少しでもわかってもらいたい」であっても、「自分のことはなんとなくわかっているのだけど、誰もそれに目を向けてくれない」であっても、ほぼ同じだ。「全然わからない」という人でも、自分以外の誰かに「わかって」と願うときには、「こんな感じでわかって」というモデルがすでにあるのだ。

だから、もし相手が「よし。あなたのことをわかってあげよう。そうだね、あなたはこういう人でしょう」と熱心に何かを言ってくれたとしても、それが「こんな風に」「こんな感じで」というその人があらかじめ心の中に描いてイメージやモデルと全然違う場合は、到底、それを受け入れることはできない。逆に「全然わかってくれないじゃない!」と怒りを感じたり失望したりすることになるだろう。

診療室にもときどきそんな人がやって来る。「誰にもわかってもらえないのです」と言う人の話を聴いて、「先生、私のことわかりますか?私ってどういう人間なのでしょう?」と尋ねられて、「そうですね。あなたが心の中に抱いている葛藤はこれこれで、そのことをこういうように解決したいと思っているのではないでしょうか」などと解説しても、多くの場合は「やっぱりわかってくれないのですね」と言われてしまう。

《中略》

実は、それより大切なのは、「この人のことをわかってあげたい」という姿勢を見せることだ。

「わかってもらいたい」という病 (廣済堂新書) 香山リカ p.155

思い描いていた「分かってもらうイメージ」通りに、分かってもらえないと、他のことは違うというのは、なんとなく分かります。私自身は、気持ちを分かってもらいたいと思ったことがそこまでありませんが、仕事や、プライベートで何かを説明したときや、プレゼンをしたときなどに、期待していた返しがないと、思っていたのと違うなぁと温度差を感じることがあります。これと感覚が少し違いのではないかとは思いました。

要するに、分かってもらって、分かり合いたいのではないかと思います。手に取るように分かることは、その人自身ではないので、難しい話ではないかと思いますが、確かに、分かろうとすることはできるのではないかと思います。その姿勢を見せてくれただけで、ありがとうと思うべきだとも思います。

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