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SNSに書き込んだ人と、見ている人の温度差で、コミュニケーションのすれ違いが起きている

『「わかってもらいたい」という病』では、イマドキらしい生き方をしている主に若者に対して、著者が思うには、「SNSは“自分をわかってもらうためのメディア”としては適していないのではないかと思う」と述べています。

私も本当は「誰かに自分の気持ちを話したい、私のことを分かってもらいたい」という気持ちはあったはずなのに、「そんな期待をして、また裏切られるのはイヤだ」と思うあまり、そういう気持ちにフタをしてここまで来た、ということなのだろう。《中略》「わかってもらいたい」とは何か。なぜ「わかってもらえない」と思ってしまうのか。

「わかってもらいたい」という病 (廣済堂新書) 香山リカ p.14

著者自らのリアルな経験から、どうして人は、他人に自分のことを「わかってもらいたい」と思うのか?それが、どうなればいいのか、そして、わかってもらえないという気持ちになるのはなぜなのか?という疑問をもとに、この本が作られたようです。

実際にSNSを通じて、自分のわかってもらいたいことを述べた場合には、こうなる可能性を述べてくれています。

たとえば8割が「興味本位」だったとしたら、どうなるか。その人たちは、あるところまでは「わかります」「たいへんですね」と共感を示しながら反応していても、いずれかの時点で態度を変えるかもしれない。

「たいへんなのはわかりますが、あなた、ちょっと甘えすぎなんじゃないですか」《中略》

その人たちの興味はもう満たされ、それ以上、話を聴く必要がなくなってしまったのだ。そうなるとそれまで「ここにだけは私をわかってくれる人がいる」と思い、自分の秘密を打ち明けていた人は、どれほど傷つくだろう。

「わかってもらいたい」という病 (廣済堂新書) 香山リカ p.35

個人的な見解としては、書き込んだ人の気持ちが、気軽でラフな感じなのか、誰も相談にのってくれないから助けを求めての感じなのかの状態に左右されるのではないかと思いました。書き込んだ人としては、反応、返事が欲しいので、ワクワクしながら待っていると思います。ですが、この内容を見ている方は、深刻な状態でみる人はほとんど存在しないのではないかと思います。見ている方は、面白いネタであったり、自分の利益になる情報が欲しいだけで見ることの方が多いため、そこから、書き込んだ側と、見ている側の温度差が生まれていることが、誹謗中傷などの問題になっているのではないかとも思います。

どんな人が見てるのかを想像した時には、人の不幸を見て自分の気分を楽にしたいと思っている方もいるはずなので(だから「痛いニュース」の需要があるのだと思います)、書き込んだ場所も重要ではないかと思います。

「わかってもらいたい」という気持ちで、わかってくれる人がいたら、そこが安息の場所、自分が肯定されている、自分が堂々と生きていける場所が欲しくて、書き込んでいるのかもしれません。

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