殺人事件を起こした後、どうしてこの方殺害したのか?という問いに対して、「誰でもよかった」という供述している様子を、テレビで見かけたことはないでしょうか。
個人的には、人を殺めること自体のアイデアがあったとしても、その行動に起こすのは相当の覚悟がいるのではないかと思います。ターゲットがいる場合と、誰に対してこの怒りをぶつけていいのか分からない場合などがあると思われます。
まさに、この「誰でもよかった」と供述している方のお話が載っていたので、ご紹介します。
「んと、名前忘れちゃいましたけど、誰でもよかった見たいですよ。高1のときの宿泊学習みたいのに果物ナイフ持って行ったけど、結局やらなかったです」
《中略》
(その相手は男か女か?)
「男です」
(どんなタイプか?)
「身体が大きくて、大雑把みたいなタイプです」
(気に入っている相手か?嫌いな相手か?)
「どうでもよい相手ですね。クラスメートに仲のよい人もいたんですが、その人は殺そうとは思いませんでした」
《中略》
(事件の後には?)
「あとは、えーっと、あります。上の姉と、それから無差別に。あ、上の姉も無差別に入るかも知れないですけど。他には心中を考えてみたり」
(心中の相手は?)
「女ですね」
(どんな女?)
「女なら誰でもいいんじゃないかと思いますけど」
《中略》
(女の好みと心中相手の好みは別か?)
「心中だと好きな女だと思いますけど」
『犯罪心理学を学ぶための精神鑑定事例集』p.34
この内容を見ると、「どうでもいい相手」がむしろ本人にとっては、都合が良いのではないかとも窺えます。高校で、このような思いがあったというのも、考えさせられます。
確かに、日本で起きている事件の中には、いわゆるグレてしまったという事情ではなく、高校生が同級生を殺害するケースも、一時期報道されていたような気がします(両親を殺害するケースの方が多く報道されているように感覚的にはあります)。
心中をする時には、異性と一緒が良いというのは、本能的な部分なのではないかと思います。この心中と、殺害は、欲を満たすのに、同じような効果があるとされているので、殺害を企てる人は、自害(心中)したいという気持ちも持っているケースがあるそうです。
この「誰でもよかった」「どうでもいい相手」というのは、男女関係なく、自分のどうしようもない感情を解消するために、人を手段として選び、その人は、自分と近しい人ではない人が望ましく、自分を知っている人には知られたくない?迷惑かけたくない?というような社会的な立場での男性らしい心理が働いているのかもしれません。
誰でもいいけど、子どもを狙った事件では、自分よりも弱い者をターゲットにする傾向があると聞いたことがあります。女性も、この弱い者の中に入ると言われています。