
母が好きだったもので、真っ先に思い浮かぶのは、梅干しです。
梅干しは高価なものから、比較的安いものまでありますが、いつも安い梅干しを買って、毎日食べていました。
抗癌剤の副作用で、糖尿病になったのですが、その少し前から、塩分を控えるように医師から指示されていたので、梅干しを食べる量も少しに抑えていました。
ご飯が美味しく食べている時はよかったのですが、副作用で味覚が変わり、何を食べても美味しくなくなってしまい、食欲がなくなっている姿は、可哀想でなりませんでした。
母は特に趣味がなかったので、食べることだけが楽しみで毎日を過ごしていたような気がします。そんな母から、食べる楽しみを奪われてしまったような形でした。
塩分、血糖値も気にせずに、食べたいものを食べて欲しいという、気持ちでいっぱいです。
今まで夢で一度も見たことがなかったのですが、母が亡くなってからすぐに、母がタンクトップ姿で、真っ白な髪が黒髪になって、二の腕がパンパンという元気な様子で実家にいたのを見ました。その時は、地震が起こっていて「おぉぉぉ、死んでても怖い」とジョークを言っていました。元気な姿だったので、変ですが、安心してしまいました。心配しないように会いに来てくれたのか、私がそう思いたくてそれが夢になったのは、それは分かりませんが、不思議な体験でした。それ以来、母を夢で見ていません。
今は、コロナウィルスが原因で、看取ることもできずに亡くなられている方が、世界的に多くいらっしゃると聞くと、仕方がないという言葉では片付けられない、憤りを抱えている方が多くいらっしゃると思います。病院の方にも負担はかけられないのも分かっているのですが、亡くなる時に、「お疲れ様」とか、「ありがとう」と言えないのは、辛いことだと思います。ちゃんとお別れを言うことはしたいと個人的には思ってしまいます。
負担にならない程度で、ウェブカメラをつけてもらって、何時何分に亡くなったという儀式に、遠隔で立ち会ったり、火葬に向かうまでや、お骨を壺に入れる儀式なども、一緒にカメラごしでもいいからできたら、まだ良かったのではないかと思ってしまいます。お医者さんとしても、人の命が流れるように進むことは、よく思わないのではないかと思っております。
残された人間は、人の命の大切さを、数値だけで把握するのではなく、何万という、それぞれの命の重さをしっかりと感じて過ごさなければならないのではと思っています。