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  1. 教育

生身の人間が通う学校の重要性

コロナの影響で、学校が休みとなり、学業が少なからず遅れてしまうのでは、また体力がなくなってしまうなど身体的成長などの懸念も考えられます。ですが、生きていればやり直しすことができます。将来の不安も誰もが抱えていることですが、今は生きることを優先しなければならない時期であると思います。

今は恐怖と向かい合わせですが、家族で一緒にいれるチャンスだと前向きに考えることもできると思います。

学校の大切さは、水準レベルの学問を学ぶことではないと、個人的には思います。学問を学ぶだけならば、個人的には、自分にあったテキスト、方法、自分のペースで学ぶ方が、何倍も早く身につくのではないかと思っています。他の人がいることで、意見交換ができるので、いろいろな考え方を身に着けることができる利点があります。これはSNSで発信し、やりとりをすることで、同年代だけではなく、様々な年齢から意見を聞くことだってできます。

ここまで言うと学校をディスってるんじゃないか、存在がいらないというような表現になってしまっているので、学校での重要な役割としては、次の通りだと思います。

「学校の教室は『社会』です。いろいろな人がいて、いろいろな考えがあるから、わかりあえない。わかりあえない中で、人間関係をつくり、わかりあえないから衝突を繰り返す。その相互作用で、子どもは成長していくのです」

日本でもフィンランドでも、学校へ入る前は、「周りのみんなが自分のことを100%わかってくれる」と言う環境の中で育ちます。では、学校に入るとどうでしょうか。日本の小学校は、まだまだ「みんなわかってくれるし、そうあるべき」という価値観が支配しているようです。

多様化した社会では、自立した「個」であることが求められます。日本の子どもは、いつ、どこで自立した「個」になればいいのでしょうか。

衝突であれば、SNSでだって行うことができます。ですが、ライブでの衝突は五感で感じるものがあるので、全然違うと思います。身体にも記憶として残ります。こんな思いをしなくて済むにはどうすればいいのか、どうしてこんなことになっちゃんたんだろうと、悩んで、苦しんで、落ち込んでという経験は、一生の経験であり、一生の財産だと思います。

この人間関係の経験ができるのは、学校でしかないと思います。生身の人間とぶつかり合う、家族ではない人と感動を共有することが喜びであること、一生の宝であると思います。この経験が学問よりも最も重要な学びであると思います。

基本的には、悩みは自分で乗り越えるべきものだと思うので、その方向性が間違っていないかどうかを見守るのは、大人の役目であると思います。それしかできないと思います。そのためには大人が間違っていては行けない事になります。

もちろん、暴力団であったり、犯罪組織、明らかに行き過ぎているいじめを受けている場合など、悪影響でしかない交流関係であれば、守る必要があります。可愛い子には旅をさせよの範囲でも、助けを求めている時には、助けなければならないと思います。

“日本の小学校は、まだまだ「みんなわかってくれるし、そうあるべき」という価値観が支配しているようです。”

この意見には賛同ができません。少なくても、私はこんな価値観に支配されていなかったので、分かりませんが、現在の小学校では、この価値観があるのでしょうか。

いや、幼稚園であっても、この価値観はあったでしょうか。日本の教育は今、どうなっているのでしょうか。

<参考文献>

フィンランド流「伝える力」が身につく本』(著者:北川達夫)(p.188)

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