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人間は悲劇が起きたとき、とにかく原因があって納得したい生き物である

前回では、科学は、神が正しいということを証明するために誕生したと言われているそうですが、ダーウィンの進化論が発表された際、キリスト教の反応はどうだったのでしょうか。

大勢の聴衆で満員になった会場に、教会代表として大司教ウィルバーフォースが登場しました。彼はおおよそ次のようなことをいったとされています。「皆さん、進化論に基づけば、私たちはあの醜いサルの子孫だということになるのです。このような話を認めることができますか?いいえ、認められないでしょう」。

当時、ダーウィンは病気がちだったので、進化論者代表として、ダーウィンの友人で「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれたジュリアン・ハクスリーが登場しました。ハクスリーは「なるほど。しかし、論理的に考えて完全に納得できる話を信じられないと否定するような頭の固い人間であるよりは、私は論理を認めることのできる醜いサルの子孫であるほうがなんぼかましだ」という意味のことを言いました。

普段、高慢ちきに説教ばかりしている教会にうんざりしていた聴衆は、ハクスリーに大喝采。この話はたちまち大衆に広まり、ダーウィンの「進化論」は社会に受け入れられていったのです。

まずは、教会は普段、高慢ちきに説教ばかりしているのだと思うと、キリスト教信者の方も、そこから逃げられないと思うと、私は耐えられません。

ブルドックのお陰で、大衆には、ダーウィンの進化論は受け入れられていったということで、キリスト教の教皇はどうなってしまうのか、気になるところです。

 

そもそも、科学というものは、キリスト教を信仰するヨーロッパの社会で始まりました。元々の動機は、神がお作りになられたこの世界が、いかに神の意志で素晴らしくうまくできているのか、神の偉大さを示すためだったと言われています。

ご存じのように、キリスト教における神は唯一神です。その意志により世界が作られたとするならば、その原理はただひとつのはずで、それを見つけ出すことに大きな意味であると信じられたのでしょう。

もちろん、時代が進むにつれて科学は神と決別しましたが、この「全てを説明できるただひとつの原理があるはずだ」という信念は、いまでも残っているのではないでしょうか。理系の人はしばしば「美しい」という言葉を使うと聞いたことがありますが、これはシンプルな論理で、現象がうまく説明できたときに出る言葉です。

やはり、科学と神は、正式に決別することになったのがここで分かります。人間はシンプルな理由で物事がうまくいっていない、シンプルな理由で問題が解決するはずだと思う傾向があるそうです。

この「美しい」という言葉は、プログラマーの方々から聞いたことがあります。処理の仕方であったり、導き出し方など、シンプルなコード進行、いろいろだと思います(個人的には、この美しいという言葉は、理系ではない方でも、みんなが使う権利があると思っています)。

 

世界は必ずしももうなっている訳ではないし、逆に複数の原理の相互作用によってしか説明できないような現象(進化はそのひとつです)は、ひとつの原理への還元主義ではうまく説明できません。つまり「美しくない」のです。

科学が進歩して現実が見えた今でも、天災や、COVID–19などの突然の感染症、疫病が発生して、人間を苦しめるのは神の仕業にしておけば、みんな納得ができる。どうして神がこんな人間にひどいことをするのかは、人間の行いが悪いからだということではないだろうか。自然に逆らった行動が、神を怒らせているのではないかと。

要するに、人間は悲劇に対して、納得したいだけで、原因を一旦置いておくことで、精神が落ち着く生き物なのだと、思いました。

 

<参考文献>

面白くて眠れなくなる進化論』(p.48、136)(著者:長谷川英祐)

 

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