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本能と理性

個人的に思っていたことがある。本能は、何も考えなくても行動に移すことができることで、理性は、自身で考え、選択をすることである。と思っている。
専門家からしたら、正確には異なる解釈が生まれるかもしれないが、現時点のでの自身の考えでは、そんなふうに思っている。
この解釈には、人によって、幸せと感じることが異なるので、私にとっては幸せでも、その人にとっては、異なる内容ではないかと思われる。だから、誰でも当てはまることではなく、この答えが正解ではないということを、はじめに断っておきます。
私がまだ、子どものころ、フルートを吹いている時期が3年間ありました。
薦められたのは、両親からで、逆らうことなく吹奏楽に参加しました。楽器を選ぶ際には、本当は派手な音が出るトランペットをやりたいと思っていたのですが、定員がいっぱいになってしまい、フルートしか残っていなかったので、フルートを吹くことになりました。
はじめはよく分からなくて、音符の通りに吹くということをする、ということもしないで、ただただ、団体の中に混じって、デタラメな音を出していました。同じ楽器を吹いている先輩と仲良くなって、先生から注意を受けてしまうほど、適当にやっていた時期がしばらく続いていたと思います。
見かねた先生が、「ここの小節を吹いてみなさい」と言われ、ヤバいと思いました。だって、デタラメに吹いていたんですから。でも、実際に吹いてみると、間違えることなく、吹けていた自分がいました。
その時は、先生も「なんだ、吹けるんじゃない」と呟いていましたが、自分自身は、どうして吹けたのか分からないという状態が発生していたので、褒められている場面にも関わらず、驚きの方が勝っていました。
おそらくですが、フルートのドレミファソラシドくらいは分かっていたので、ただただ、楽譜に書いてある音符を順番に吹いていっただけという状態なのだと思うのですが、このときに、何か考えていたという感覚は何もありませんでした。
しかも、いつも思うのは、自分の考えているよりもずっと、発せられる音が想像を超えているということです。まだ、子どもだったので、想像力が低い状態だったのではないか?とも、今では思います。
ここで、何が言いたいのかというと、音楽については、感覚という部分もあると思いますが、何も考えることなく、本能のままに従っていただけというのが、私の貴重なフルート体験です。
先生から、「吹いてみなさい」と言われて以降、なんだ、めっちゃ簡単なんじゃん!と思ってしまった私は、この先も、実は、何にも努力をしていません。めちゃくちゃ練習したなぁーという感覚もありません。自分自身が上手だなと思ったこともなく、ただ吹いているだけという日々でしたが、吹奏楽というだけあって、1枚の楽譜から、他の楽器と合わせることで、ものすごい力になり、合わせているということで生まれる気持ちの良い、何重にも重なっている音が快感となり、それを聞くのではなく、一員として、演奏の中で聴くことができるということだけに演奏を続けていました。個人的な評価は、ずっと変わらなかったのですが、周りからの評価としては、先生や、音大の学生たちが教えに来てくれる時期があり(今考えるとめちゃくちゃ恵まれた環境だなと思います)、そのときには、才能があると言われ続けていました。このまま進んだらヤバいよ。とか言われていたのですが(黄金の音色と言われる音が出せていたそうです。専門的なことはよく分かりませんが)、個人的には、「これでいいんだなぁ」という感情があり、とてもつまらなくなってしまったんです。これは、努力をしていないからだと思います。本当に何にも努力しておらず、本能のままだったので、やっている感じがありませんでした。充実感もありませんでした。
だから、小学の3年間でやめてしまいました。
このときは、いろんな人と出会って、まだ見ぬ演奏に出会いたいという想いすら湧きませんでした。
この後は、テニスをしていました。全くできなかったからです。全くできなかったことが、少しずつでもできるようになると、すごく楽しかったのです。だからやめることなく、テニスに関しては、社会人になっても続けて、30の手前までやっていました。テニスについては、全くできなかったのですが、おそらく、みなさまもスポーツをしているときには感じたことがあると思います。「無になっているときがいい」と。テニスの場合は、個人的に、運動の素質の感覚が全くなかったらしく、身体の動かし方から、意識しなければならなかったという楽しい時期があり、いままでの積み重ねとして、酸素が薄くなり、頭が回らなくなると本能で動くしかなくなります。慣れてくると、考えなくてもよくなるというような感じでプレイができるというのが、「無」だと思いますが、私の場合は、この「無」になったときに、ポイントが決まってしまうと、楽しくなかったのです。多くのひとは、この感覚になってから、選手としてのランキングを上がっていくのだと思いますが、私は、ひとつひとつ意識して、考えて、判断をするというプレイが、したかったので、選手としては、全然強くはありませんでした。テニスに関しては、とても楽しむことができました。副産物としては、激しい運動をしていたので、健康でいれたという特典付きです。
個人的には、本能ではなく、自分で考えたことを試行錯誤して、形が違くても実現にむけて行動し、選択をして生きることが、生きている実感を感じることができるというタイプなので、周りの人には、とても迷惑をかける生き方であると思っています。だから、人への気遣いは絶対に忘れてはならないと思って生きていかなければなりません。
本能のままに、才能を伸ばし、得意なことをしていることが幸せと感じる方は、想像する限りでは、カリスマのような人生になるのではないかと思うので、天狗になって、人を馬鹿にするようなことだけをしなければ、人間関係はうまく行くのではないかと、安易ではありますが、思っています。
人間関係であったり、何かを選択しなければならないときには、本能の部分を使うことが個人的には多いです。でも、本能の部分だけで生きると、個人的には、全くもって人生を楽しむことができないと思ったので、こんな性格と、人生を歩んでいるのだと最近は思いました。
今になって、フルートを吹いたら、才能なんて何にも無くなっているかもしれません。それならそれで、努力をするしがいがあると思うので、やっと楽しむことができるのかもしれません。
最後に言いたのは、世界の人全員が、幸せと感じる人生を追求して欲しいということです。
ただし、それが、誰かを傷つけないことであれば。
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