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恐ろしい自己同一化現象

前回の『イタリア現代思想への招待 (講談社選書メチエ)』の本からの「幸福の考え方」で紹介した、苦痛についてですが、苦痛から、考えられることが幸福以外にもあります。

 

”苦痛はしばしばわたしたちを引き裂き混乱させる。その苦痛を近代は、さまざまな技術や言説や実践によってコントロールし、主体に自己同一性を取り戻させよう躍起になってきた。だが、「己を知る」ことと自己同一化とは、決して同じものではない。自己同一化は他の者への暴力へと転じる危険性をはらんでいるが、「己を知る」とは他者たちを知ることである。己の苦痛と向き合うことは、他者の苦痛を向き合うことにほかならない。” p.151

この「自己同一化」ということによって、他の者への暴力へと転じる危険性をはらんでいると記載されていたので、この「自己同一化」とは、なんなのだろうか。

 

まず、同一化という意味は、

〘心〙 対象のもつ考えや感情・行動・属性を取り入れ、同様の傾向を示すようになる心理的過程。(コトバンクより)

この同一化の面白いところは、その状態を示すのではなく、心理的過程というところです。

 

 

自己同一化と調べてみると結構出てきました。

 

人のなしたことを、自分のことのように思うこと。(Hatena Kerwordより)

 

心理学と社会学において、ある者が何者であるかについて他の者から区別する概念、信念、品質および表現をいう。 当初は「自我同一性」(じがどういつせい、英: ego Identity)と言われていたが、後に「自己同一性」とも言われるようになった [1]。時にはアイデンティティもしくは同一性とだけ言われる事もある。エリク・エリクソンによる言葉で、青年期発達課題である。(wikipediaより)

 

自己同一化とは、簡単に言うと、自分と他人やあるモノの考え方や肩書などが同一化している状態のことを言います。ですが、現実には何かと自己同一化することで生きにくくなっている人の方が多いわけです。(不幸な自己同一化を防ぐ基本より)

 

自己同一化について、考えてみると、例えば、親子で、母のことを崇拝しており、父が母に暴力を振るって、母の気持ちが恨みに変わっていたら、子どもにもその恨みが同一化するということになるということです。

これは、親子という小さな範囲ですが、これが宗教であれば、教祖となる者が、憎悪を向けているものがあれば、信者もまた、その憎悪が同一化してしまうということのようです。

これが、国であれば、国民が同一化するということになるというわけです。

 

そして、それが当たり前になるということなる。

その環境で育ったら、何も疑うことなく、それが文化、習慣になっていく。

 

幸福の観点で考えると、文化であったとしても、恨んでいることが人生の中で少しでも存在している時点(正確には、過去ではなく、現時点)で、不幸ではないかと個人的には思う。

自身が不幸であると思っている状態を、環境のせいにしてしまっていること事態が、最大の不幸なのではないかと思う。

 

これまでの記事の内容についても、私は無宗教だから、こんな物事を簡単に言っているのだと思います。崇拝するものがある場合には、私の述べていることは、人によっては、苦痛になる考えになるのではないかと思うと、今までの私の発言は、改めないといけないのではないかと最近は思います。もっと学ばないといけないと痛感しています。謹んでお詫び申し上げます。

 

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  1. 2019年 7月 08日
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