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幸福の考え方

幸福のことを考えるのに、生まれた国によって、幸せの形が異なるに違いない。『イタリア現代思想への招待 (講談社選書メチエ)』では、国ができる起源といっても過言ではない、宗教関連についての考え方が載っておりました。

 

”ギリシア悲劇において、苦痛は幸福とかならず対をなしている。生きるという経験そのもののなかに、苦痛は必然的に組み込まれているのである。人間の生は、生みだすと同時に破壊する自然の力に従うからで、その意味では、ビオス(社会的生)やピュティス(自然)と連続している。(中略)生が不可欠であるとしても、自然の懐のうちにあることに変わりはない。それゆえ、存在するかぎりにおいて苦痛は自明のもので、人間はただ、これを除去するのではなく、いくら軽減することができるだけなのである。” p.147

前回読んでいた『イノベーション・オブ・ライフ』から察するに、生まれ育った場所が、信仰心のある家庭で育ったら、それが生活の一部となっているので、結果的に、それは、人生の一部であるということが、見て取れる。

日本では、無宗教であることが多いことがあるが(個人的な意見です)、外国では、挨拶の次に、宗教は?と聞かれるほど、宗教はアイデンティティであり、人を受け入れる際の、重要な要素であるということも分かる。

そんな、歴史、文化のある宗教の考え方から、人間の幸福とはという内容が書かれていました。幸福を導き出すために、対となる苦痛を考える方法となっています。

先に引用した内容は、古代ギリシアの考え方になります。次は、ユダヤ=キリスト教の考え方です。

 

”ユダヤ=キリスト教において、苦痛は契約の神学にその位置を占めており、神の法=掟が破られることのうちに、苦痛の意味と正当性が見出される。罪は神との契約の破棄を意味するのであるり、その罪の報酬として苦痛がある。” p.148

いやー、全然わからない。私だけでしょうか。

この続きに、ナトーリ氏が解釈してくれており、その内容をみると何となく分かってきます。

 

”最初の人間の罪は、アダムとエヴァが犯したもので「原罪」と呼ばれる。蛇は二人にこう告げる。「あなたがたがそれ「禁断の木の実」を食べるそのとき、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです」。”

アダムとエヴァ(イヴ)の話はそもそもどこの宗教の話?と私はなってしまうのですが、これはキリスト教になります。

蛇がこんな内容を二人に対して告げているとは思いませんでした。

知っていることは、「それ食べちゃダメだよ。」で、二人は食べちゃう。あーあ食べちゃったねーと、罪を償ってもらうという話か知りません。そして、その償う方法も知りません。

続きがあります。

 

”ここでいう「善悪」は、倫理的な意味というよりも、「すべて」という意味に解されるべきである。(中略)「善悪と知る」とは、人間が「全」と「無」を知るということであり、その結果「神のようになる」こともできると過信してしまう。それはまた、人間が「神は存在しない」と宣告することにも等しいだろう。人間の罪とは人間が自らで自己充足してしまい、神を否定するようになることである。ここにこそ原罪の真の意味、その本質がある(中略)。両者は反転した関係にある。プロメテウスは人間を苦痛から解放しようとしたが、アダムは逆に、人間を苦痛に陥れることになる。”

私自身、今まで記事を書いていて、分かりにくい表現をしてしまっているなと、回りくどい言い方だなと、思う事があるが、この内容も、結構クセがあります。思考の順番が、そのまま書かれているので、この著者が考えている事が分かるところも、楽しみの一つであるかもしれない。

ギリシアの方は、人間は、決定する事によって、そこから抜けださなくてはならない迷路としていて、「己自身を知れ」という示唆が込められている。

キリスト教の方は、人間は、出口のない袋小路に追いやられ、状況をひっくり返す者は人間ではなく、神であるとしている。そしてその神からの救済の手を差し伸べても、その救済は万能でもなければ、無限でもないものである。

ふむふむそれで、答えはなんなの?

この2つの考えから、ナトーリ氏の見解では次の通りです。

 

”苦痛から完全に解放されるような救済はありえないということ、苦痛のない生はありえないということである。” p.149

このプロセスを踏んで、この結論に至ってくれました。

要するに、幸福とは、この苦痛ではない期間が、幸福と言えるのではないでしょうか。

苦痛と苦痛ではない期間が半々であれば、人生の半分は幸福であったとなりますし、苦痛がなければ、苦痛でない期間が幸福にはならないということにもなります(これはよく言われていますね)。

差があるから、それに対して考えることができるのですから、それ自体も含めたら、苦痛な期間も、幸福になるのではないかと思ってみるのもアリかもしれません。

 

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