良かれと思ってやっていることが、他人の人生に影響を与えている

アルフレッド・アドラー氏が、言葉を残している中にこんな言葉がある。

「この子は言葉を覚えるのが遅いので…」と母親が子どもの通訳を買って出る。すると子どもは自分で話す必要がなくなり、本当に言葉が遅くなるだろう。

全く持って同感です。

個人的な経験の中には、イタリアに行ってホームステイをした際に、ホストファミリーの方と一緒に過ごしましたが、彼女のイタリア語を聞きすぎてしまって、こんなことを言っているとなんとなく分かってしまったのです。

ですが、街の人が喋っている言葉は、彼女ほど理解をすることができず、これは、おそらく母と子どもの仲のようなものなのかもしれないと思いました。

幸いにも、私は大人だったので、何かを代弁してもらうということはなく、なんとか自分の気持ちをイタリア語で表現することを、身振り手振りも混ぜながら、今知っている単語を組み合わせて伝えていました。

彼女のおかげで、アウトプットすることができ、少し話せるようになったような気がします。このアウトプットする時間を削がれてしまうということは、言葉が話せなくというのは、よく分かります。

 

良かれと思ってしている行動が、子どもの言語能力を妨げているということになっているのですから、それを望んでいる大人は存在するのでしょうか。

 

おそらくは、この良かれと思ってしていることが(このことだけに限らず)、自分の自己満足になっていないかを、行動を起こす前に自分で考える時間を設けた方がいいと、個人的には思う。

なぜかというと、自分の人生ではなく、自分ではない他の人の人生に影響を与えてしまうからです。

相手が誰であれ、人の人生を変えてしまう可能性があるという重みを考えれば、自身が行動する前に考えることくらいできるのではないかと思います。

人と接するときには、是非とも、考えてから、行動に移してもらうだけで、世界は変わるのではないかと、本気で思っています。

 

アドラー氏は、教育とは、相手が一人で課題を解決できるようにすることであると述べています。そう考えると、この子どものために何でもやってあげるということは、依存的になってしまうことになるので、教育とはほど遠くなってしまうということになります。

でも、子どもは2歳児になると、イヤイヤ期と呼ばれる自我が現れます。自分でやりたいということに対して、見守ることで、教育をしていると思えば、保護者としての役目を全うしていると言えるのではないでしょうか。

 

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<引用書籍>

作成者: Tangoo

どうして人は罪を犯してしまうのか、その原因を知るために、本を読んだり、旅に出て、見たり聞いたり、人に合ったりしています。そこで、学んだこと、知ったことをブログにしています。

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