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対話は「支援の文化」の核心

対話

個人的に、イタリアのレッジョ・エミリアでの教育方法(街全体で支援をするという内容)に興味があり、調べていたことがあり、そこでも、対話というキーワードがありました。

子どもたちと、大人が少人数で対話をしているシーンを写真の納めていたので、この話はまた今度行います。

 

教育の場面、学びを深めていく場面でも、この対話の大切さを個人的には痛感しているのですが、フィンランドのネウボラにて(フィンランドのネウボラについて①)、この対話というキーワードが出てきたときには、ちょっと反応してしまいました。(レッジョ・エミリアでも、対子どもだけではなく、大人に対しても、対話を行う機会があります。)

 

支援の場面でも、この対話を重視されており、家族と一緒に担当者が、会う日には、カウンセリングという上からの立場ではなく、話を聞きながら、専門的な助言、アドバイスをするような低姿勢で行なっているということも、信頼関係を築くことができるポイントではないかと思います。

カウンセリングだと、線を引かれてしまいますが、ネウボラでは、こういったことがないのが、親しみにつながるのかもしれません。

 

ネウボラで普段から行われている、対話という意味合いとは、専門的なコミュニケーションのテクニックや、手法のことではないというのも特徴としてあげられます。

支える人と、支えられる人という関係についての考え方そのものであると著者は述べています。

支えたい人と、支えられている人が、その気持ちをもって、会話をすることが、おそらく対話になっているのだとも考えられます。

 

この対話については、ネウボラだけではなく、子ども、若者、家族への支援全般において、「対話」に大きな価値を見出しており、この対話という存在は支援の核心であるとされているそうです。

フィンランドでは、支援のタイミングが遅くなってしまうと、問題がこじれてしまって、取り返しのつかないことになってしまい、支援できる幅も無くなってしまうと懸念しているため、まだ、選択肢が多い段階で、早期解決をしていくことが、巡り巡って、社会のためになっていると言っても過言ではない。

 

この対話という形式をとっているのには、まだ理由があり、日本のように専門的なことは専門家が対応するということは(ネウボラも専門家ではあるが専門家への窓口という認識の方が分かりやすいかもしれません)、パターン化されてしまい、作業のようになってしまうことで、指導権がどうしても、専門家が握ってしまうという危険性があるということです。日本人にとっては、これが心地よく、当たり前かもしれませんが、フィンランドでは、この方法をヨシとしません。

対話を挟むことによって、本人に自らの言葉で、問題を語れるようにすることで、本来の力を回復させ、本人の腑に落ちる方策での問題解決を目指す取り組みとなるそうです。ベルトコンベアーのようにAパターン、Bパターンとするのではなく、家族それぞれの考えや、背景があり、どうして行きたいということがある中、様々な葛藤をしながらの問題解決となるため、同じ答えになった家族は、1組としていないのではないかと、個人的には思います。

これは、ネウボラでの対話の賜物であり、それぞれの家族に合った解決方法を一緒に探していくという支援ができるというワケです。それには、時間をかける必要があり、その時間はかけるべき時間として保証されている。そのため、問題は最小限に抑えることができるということにつながってくるのではないかと思われる。

 

対話は、各自の発言は、参加している人と一緒に、会話を進めていくという流れになり、聞き手からの返事、応答があることが前提とし、また、理解が深まることによって、新しい理解が誕生する機会にもなる。参加者の発言には、正解という概念は重要ではないというのが、特徴となります。

発言をして、その発言を聞いて、新しい価値観を知って、発見をし、会話を進めていくというのが、対話になります。

 

子育ての場面では、答えに正解がないため、この対話式で、お互いが納得して行きながら、支援をすることが、最善のケアではないかとも、個人的には思います。

また、日本のほぼ無意味な会議も、このように対話式にしていくだけでも、新しいアイディアが出てくるかもしれません。

 

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  1. 2019年 3月 10日
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