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伝え方によって、伝わり方が変わる

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こちらの写真は、マラグッチ国際センターで、保育園での活動が本になったので、その発表会の様子です。

 

私は、信頼している友人や、家族が話している内容の他に、話し方によって、伝わってくる情報が異なると感じた事があります。

同じ情報のはずなのに、話し手によって、主観的な感情が入り、相手にも、その感情と共に情報が伝わってしまうので、あたかもそれが、正しい事であるように頭に刷り込まれてしまうというものです。

これは、表現を変えると“洗脳”でしょうか。

 

レッジョ・エミリアの保育園では、ほとんどの保育園が、レッジョアプローチの方法で教育が進められているそうです。

市立と、民間があり、市立はお金の面で補助されているそうで、民間だと、資金面が市立よりも苦しいと言うことも、日本と同じように発生しているそうです。

保育園では、ボランティアを募集していて、それは日本人でも可能で、実際にボランティアをしている日本人から、場所や、人物は教える事は出来ませんが、事情を聞いた事があります。

 

レッジョ・エミリアでは、レミダという施設があるのですが(詳しくはこちら「「レミダ」という廃材マテリアル置き場」)、あまりその施設も利用していない保育園だったそうで、遊具が少ないという状態での保育をしなければならない環境だったそうです。

もちろん、そんな中でもレッジョアプローチをしており(ここは、保育園がわでしたいと思って、しているのかもしれません。町の中には、モンテッソーリ教育をする保育園もあると聞きましたので、ほとんどは、このレッジョアプローチの教育方法で行うことが義務付けられているのだとも、考えられます)、その内容も教えてくれました。

 

テーマは分かりませんが、スパゲッティーを作るというもので、どんなスパゲッティがいいのかと保育教師から、多分その子へ聞き、おそらく、どうしようかと悩んでいて、決め兼ねている状態の中、その保育教師が、「じゃーミートソースね」と決められ(イタリアでは、ミートソーススパゲッティはないので、トマトソースをかけたモノだと思います)、赤い絵の具をスパゲッティーの形をした形のもの(おそらく粘土だと思われます)の上からドバドバとかけられ、それで完成という事になったそうです。

個人的には、レッジョ・エミリアでは、子どもの意向を尊重して保育が進められているのだと思っていたのですが、そうではないところもあるという事が分かり、どこも一緒なのかもしれないと思った瞬間でした。

 

かなり前に聞いた話なので、事実よりも加筆してしまっている場合があるかもしれません。そのボランティアの方からは、酷い内容の保育を見た、ショックだったという感じで聞いたので、感情と一緒に、このエピソードが思い出されます。

タイトルにも書きましたが、この伝え方は、望んでいる内容の保育環境を学べず、ボランティアで無償なのに、普通に(むしろイタリア人よりも働いている)仕事をしているという状況と、ショッキングな出来事、理不尽な境遇、異国の地というなどの条件が相まってしまい、感情と共に内容が頭の中に残っていました。

 

もっと内容を聞くと、園長という存在がレッジョの保育園には存在しないのだが、年功序列で、年上の方が権力を握ってしまい、いつも怒っている人がいるのだという。3園をまとめているペタゴジスタ、アトリエリスタが、この園に来たとしても、その人に口出しをできない状況なのだという。

この問題は、どこへ行っても、つきまとう話だが、保育園の理念、存在意義を理解した上で、人間関係が成り立つのだから、子どもの教育ではなく、まずは大人への教育が必要であると個人的には思う。

ペタゴジスタも、アトリエリスタも、そして、この人に関わっている周りの人も、子どもの最善の利益のために、なんとか指導をしてほしいと、誰もが思う事であると思う。

 

実際に、私自身がこの保育園のことを見たことがないので、本当にこんな状況なのかは、分からないが、本当にそうであれば、レッジョチルドレンだろうが、なんだろうが、どうにかしなければならない問題であることは確かだ。

イタリアの文化で、大量の砂糖を入れたエスプレッソや、甘いパン、スパゲッティ、ジェラート、ピザなど、血糖値が上がるものばかりが食文化として存在している。

常に怒っていたり、起伏が激しかったり、すぐに集中が切れてしまうというのは、私自身も、イタリア人を見ていて感じていることではある。

イタリア人全てが、こんな状態であるとは思えないが、その起伏のために、子どもを振り回してしまうことは、絶対にやめてほしいと願う。

それが、文化であるならば、そんな文化を尊重することを辞めてほしいとさえ思う。これは、イタリア人だけではなく、日本人も、世界各国一緒である。

子どもは何も悪くない。冷静になって考えれば、世界各国が、それぞれ理想と思える教育ができるはずである。

 

話に聞いた、保育園では、権力を握っている人が、もしかしたら、「私が仕切らなければ、この保育園はダメになってしまう」誰にも相談することもできず、不安に押しつぶされてしまっているのかもしれない。血糖値の上がる食べ物を、人よりも摂取しているのかもしれない、プライベートで、嫌なことがまとまって来てしまったりとか、原因は分からないが、保育の教育と同じで、1人の人間として、ここは当該のペタゴジスタが、その方と向き合ってもらうのが最善ではないだろうか。

アメリカでは、実力主義で、年上だろうと切られてしまうシーンをドラマなどでも見たことがありますが、ここは、イタリアも、日本も、見習うべき箇所ではないかと、思っている次第です。

 

何が言いたいのかというと、教育者たるもの、主観的に物事を捉えてはならないということです。真実が分からなければ、決めつけてはいけないということです。

※私に話してくれた方が、ウソを言っているというワケではありません。それは、それという事実として受け止めているという状態です。

 

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「レミダ」という廃材マテリアル置き場」レッジョ・エミリアの教育環境系

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