人は人、みんな他人

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写真:原宿のギャラリーにある並べられた椅子

子どもの頃には、「ウチはウチ、他は他」と言われたことを覚えている。

そして、ウチの中では、ルールがあるが、だが、親子だからって、同じ考えを持っていると思っている大人がいることがある。

そして、家族でもないのに、その子が思っている気持ちを思い込んで、決めつけてしまう大人も存在する。

 

個人的には、家族で血が繋がっていても、別人格を持っているのだから、他人と言っていいのではないかと思ってしまう。

それくらいに、別人格者として、尊重されるべき存在であると思っている。

 

テレビゲーム教育論―ママ!ジャマしないでよ勉強してるんだから』では、子どもに対して、ゲームを買う時、少しでも頭が良くなって欲しいからという願望があるため、脳トレのような、学習用のゲームソフトを買ってしまう親がいると述べており、著者は、この行為は全くもって推めていない。

著者の意見としては、学習の匂いがするものは毛嫌いする傾向があるらしく、ということは、進んでこのゲームをすることはないということになる。

それに、ゲーム会社は、この手の教育ソフトを売ったところで、打ち上げが伸びないという結果まで出ているので、お互いに悪影響となっていることが分かる。

それよりも、複雑で、洗練されたゲームである方が、学習要素が多く含まれていると述べられています。

 

著者の意見とは異なってしまうが、個人的には、どんなゲームだって、学習できる要素はあると思っている。

ゲームは作品であり、作者の想いも含まれている。ゲームをすることで、作品に触れ、そこで、感じられた感情が、既に学習要素になるのではないだろうかと思っている。

つまりは、学習要素が多いゲームは、作り手がこだわって手掛けたか、想いがそこに感じられるのかという違いではないかと思ってならない。

それは、大人も子どもの関係ない、人間が自然に感じ取ることができるものであり、要するに、大人は子どもを舐め過ぎていると思ってならない。

 

子どもを子ども扱いして、騙して育てれば、それが学びとなってしまうことを忘れて欲しくない。

大人が心の底から楽しんで、作り上げた作品であれば、それに触れるだけで学ぶことはたくさんある。そして、人それぞれ、見ている視点が異なるので、それぞれ学んでいることも多種多様であるということを。

 

大人は、自分に誇りを持って行動しているだけで、それを子どもが見て、学びとしているので、要するに、大人もめいいっぱい楽しんでいれば良いということが分かる。

自分らしく生きていることが、周りにとっても好影響となるのだから、肩の力が抜いて、人生をもっと、ただただ楽しむだけでいい。

それが、子どもにとっても、最前の教育と結びつくであろうと、個人的には思っている。

 
註:『テレビゲーム教育論―ママ!ジャマしないでよ勉強してるんだから』マーク・プレンスキー 東京電機大学出版局 2007-07-01

作成者: Tangoo

どうして人は罪を犯してしまうのか、その原因を知るために、本を読んだり、旅に出て、見たり聞いたり、人に合ったりしています。そこで、学んだこと、知ったことをブログにしています。

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