写真:上野の美術館内
犯罪の中に、再犯を占めている割合は結構あるということを、ご存知でしょうか。
54%は、刑務所収容者のうち、刑務所再入所者による再犯なのです(1999年)。
さらに、ここから、執行猶予、保護処分経験のある者も含めると、64%を超えてしまいます。
ですが、少年の場合は、少年法がしっかりと機能している(少年にかかる数々の機関のお陰で)ことで、再犯率は、年々低くなっているという傾向にあるそうです。
少年の場合には、14、16歳を過ぎてから、犯罪を犯さないのですから、これこそが、他の国と比べたときにも、人口が多いにもかかわらず、平和に(犯罪が少なく安心して)過ごしていけるのだと思います。
そして、今まで、機能してきた少年法が、2000年に改正され、こう言った、素晴らしい作用は、考慮されずに、ただ「罰が必要である」と、繰り返されてしまったのだそうです 。
凶悪な犯罪が増えてしまったことで、厳罰にすることで、防ぐことができると判断した結果なのかもしれません(真相は分かりません)。
この厳罰にしていくことは、より、刑務所に近づくということになります。すると、再犯が増えてしまう可能性があるということになると考えられます。
日本は一体、どこに向かっているのでしょうか。
変な話、少年院だけではなく、刑務所の在り方を考えれば、もっと再犯がなくなるのではないかと思うのです。
個人的には、厳しくすればするほど、憎悪が積もってしまう傾向にあるのではないかと思うのです。シャバに出たら、すぐに犯罪を犯すのは、安易に想像することだってできます。
刑務所の中の過ごし方にも、見直す必要があると思います。
働いていたりはしますが、その働いている内容も、人と接点がない職種が多いのが印象にあります。
何故でしょうか、危険だからでしょうか。
その扱いこそが、レッテルを貼ってしまい(ラベリング理論)、犯罪者という認識から逃れられなくなってしまうのではないかと思うのです。
自分という価値を、見出し、自己肯定していくには、人の力が必要だと思うのです。
犯罪者だからと、レッテルを貼ったままでは、ずっと、そこから抜け出すことはできません。
しっかりと働いているということを見守るのが、職員の役目として、今人手が足りないとされている、介護の世界や、飲食業などで、少しずつ、認められながら、人間形成を立て直し、助け合い、人から感謝される、求められているという感覚を得ながら、過ごすことで、浄化されていくのではないかと思っています。
少年法・少年犯罪をどう見たらいいのか―「改正」、厳罰化は犯罪を抑止しない